丘に登る

 週に一、二回は自分の研究室から出て、散歩することにしている。運動不足にならないようにすることが第一の目的だが、それ以外にも効用があることがわかった。

 散歩のルートは呉羽山に登ることだ。呉羽に登ると町の広がりを目にすることができる。その町の中に大学があり、大学の中に自分の研究室がある。効用というのは、こういうことだ。山から眺めると、自分の置かれている状況と自分が今していることが、どういう関係になっているかがはっきりとわかることだ。

 散歩に出ていくと、一時間はかかる。もし差し迫った仕事があるとすれば、この一時間を散歩にあてることは決心のいることだ。だれでも差し迫ったことがあれば、ともかくもそれをやってしまわなくては気が休まらない。しかし、なぜその仕事が差し迫ったものになってしまったかをよくよく考えてみる。そうすると、実はその仕事のやり方やとっかかりがわからないために、今まで手つかずのまま来てしまったのである。とすれば、新たな策略なしに気ばかり焦ってもその仕事は成し遂げられずに終わる確率は圧倒的に高い。

 そういうときには、丘に登るのがいいのである。丘に登って、遠くに見える(見えなくてもいい)自分の仕事部屋と自分の姿を思い描く。そうすると、不思議に何を今なすべきかがはっきりしてくるのである。

 これはこういうことだろう。毎日の忙しい日常では、何が自分のネックになっているのか、何がじゃましているのか、あるいはどういうルートを取ればうまくいくのかが見えないのである。そうした「日常」を一度突き放して、丘に登り、自分を遠くに置いて眺めてみるのだ。そうすれば、今なにをするのがいいのか、何が障害になっているのかがわかり、遠回りに見えるが実は一番良い方法を発見できる。


1997年10月21日(火)のブログ記事より